インド鉄道コンテナ輸送事業 | プロジェクトストーリー | 鴻池運輸 recruiting site-九州现金网

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インドで日系企業初の取り組み。

巨大マーケットの物流を変える

鉄道コンテナ輸送事業への挑戦。

後発ゆえの厳しい市場開拓の現実に直面。
インド企業との協業で鉄道コンテナ輸送に本格参入。

近年著しい経済成長を遂げ、今後10年以内に人口が世界一になると目されている南アジアの大国・インド。鴻池運輸は2012年の現地法人設立を皮切りに、この巨大市場でのフォワーディングビジネス獲得に動き出していた。しかしインドに進出した日系企業では後発組だったため、当初は苦戦の連続だった。
ビジネス成功に向けて独自の強みを模索し続けた中、着眼したのが鉄道を使ったコンテナ輸送。日系企業で同様の物流事業を行う競合は皆無であり、トラック輸送にはないさまざまな利点があることに商機を見いだしたのである。

一方、インドの鉄道網は基本的に国営で、鉄道関連事業を行うには同国政府のライセンスが必要だった。現地におけるビジネス実績も顧客もほとんどない状況もあいまって、自社単独で取り組むのはあまりにも無謀といえた。そこで鴻池運輸は、鉄道貨物取扱のノウハウに長けた現地企業とパートナーシップを組んで事業化することを決断。2016年に共同出資で合弁会社「joshi konoike transport & infrastructure pvt.ltd.」(以下jkti社)を立ち上げ、本格的に鉄道コンテナ輸送事業に乗り出した。

さまざまなメリットを生む鉄道コンテナ輸送で
インド西部の長大な物流を一挙に獲得。

鉄道コンテナ輸送事業を立ち上げるにあたり、合弁会社のパートナーとなったのは、インド北部で国の認可を受けた貨物専用ターミナルを運営する「associated container terminals limited」(以下actl社)。actl社のターミナルは、首都デリーに近い工業地帯の中心に位置し、西インドの主要な3つの港に揚がる膨大な量の貨物が集まってくる。港からターミナルまでの距離は、東京〜鹿児島間に当たるおよそ1,500km。鴻池運輸とactl社は、この長大な区間の輸出入コンテナ輸送をjkti社で手掛けようと八方の手を尽くした。

そして2017年3月、第一号となる45両1編成の鉄道車両が運行を開始した。1編成当たりの積載貨物量は20フィートコンテナ90個、トラックに換算して90台分に相当。一度の運行で大量の貨物輸送が可能になることに加え、運搬中の事故減少や到着時間の正確性などのメリットが多く、顧客の支持が集まった。化石燃料を使わず環境負荷を軽減できることもあり、広大なインドで物流の世界的潮流に合わせたモーダルシフトの実現にも寄与できた。鴻池運輸は後発の逆境を乗り越えて一発逆転、確かなビジネスの芽を切り拓いたのである。

自動車産業との取引でビジネスは急成長。
多彩な鴻池運輸の事業の新たな柱に。

インドでの鉄道コンテナ輸送事業は日を追うごとに拡大の一途をたどった。最初の輸送運行から2年半が経過した2019年秋、鴻池運輸が走らせる鉄道車両は4編成にまで増え、うち3編成は自社が保有する車両になった。
ビジネス急成長の大きな要因が、インド国内の自動車業界と商業パイプを構築したことだ。同国では自動車産業が盛んで、無数の物流貨物がそこに紐づいており、業界参入を果たしたことで一気に取扱量が増大。2019年春には新たな事業ライセンスを取得し、現地生産された完成車の鉄道輸送も開始している。

この先1、2年後には、日印両国の協力による首都デリーと商都ムンバイを結ぶ貨物専用鉄道の開通も予定されている。完成の暁には輸送力が飛躍的に向上し、さらなるビジネス拡大が確実となるだろう。すでに鴻池運輸はその後の事業の広がりを見据えて、現地に精鋭を配したインド統括本部も設置済み。自社とパートナー企業、さらにはインドの大いなる発展を視野に、鴻池運輸のグローバルな挑戦は限りなく続いてゆく。

voice of project member

shiro tanabe

田邊 嗣朗

インド統括部 担当課長
1995年 入社

※所属部署及び、その名称は取材当時のものです。

従来の物流営業では八方ふさがり。
新しい事業の仕組みをつくらねばならなかった。

インドで鉄道輸送プロジェクトを牽引したのが、国際物流で積年のキャリアを磨いた田邊である。入社当初より海外支社を設立する仕事を強く希望していた田邊は、2011年に満を持してインドに赴任。新たな現地法人の立ち上げとフォワーディングの営業活動を同時に託された。
「当時すでに存在していた駐在員事務所は市場調査だけを行うところで、営業行為ができませんでした。そこで営業ができる現地法人設置のために、私が任命を受けてインドへ赴きました。法人の立ち上げは順調だった一方、意気込んで取り組んだセールスは、当社がインド進出で遅れをとっていたせいか、なかなか仕事を受注できない状況が続きました。どうすれば仕事を取れるのか調べに調べた結果、インド経済の成長がかかる自動車業界とつながりを持たねば難しいこと、そして何か新しい事業の仕組みをつくらないと競合に勝てないことがわかったんです。そこで目をつけたのが鉄道でした。トラックや倉庫をたくさん持っている物流会社はありましたけど、自社で鉄道車両を抱えて貨物輸送を行っている会社はありませんでしたから」

現地パートナーを得ることが成功の鍵と判断。
熱意と信念でプロジェクトをスタートさせた。

このような経緯で、鉄道に着目した田邊。事実、インド国内にはイギリスの植民地時代に構築された世界有数の鉄道網がかけめぐっている。経済成長スピードを鑑みれば、その利用価値が今後必ず高まるであろうこと、環境に配慮したモーダルシフトの流れにピッタリ当てはまること、数年先には貨物専用鉄道も開通されること。調査を深めるほどにビッグビジネスへの夢が広がり、鉄道輸送実現を目指す田邊の思いは熱く燃え上がっていった。
「ビジネスの可能性調査の次は、インドでのパートナー企業探しに注力しました。事業自体は日系企業の当社だけでもできるんですが、成功させるには現地の事情に精通した確かなノウハウが必要だと考えたんです。そこでactl社と出会い、経営一族と公私にわたってとことんコミュニケーションを重ねた結果、合弁会社をつくって協力し合うという合意を得ました。」
かつてない事業計画を一歩一歩進める上で、この頃の田邊が同時に腐心したのが鴻池運輸本社の説得だ。
「私がフォワーディング業務拡販の現地法人を立ち上げて間もない中で、少なくない投資を要する合弁会社の設立要望でしたので、当然のように本社から懐疑の声が上がり、既存の現地法人業務への集中を促されました。でも、私は信念固く新たな鉄道輸送ビジネスの意義と将来性を訴え続けました。何度も何度も訴え続けた結果、ついに本社の了承を得て、プロジェクトが正式に動き始めたんです」

競合他社を凌駕する強固な武器を手に入れ、
さらなるビジネスの広がりに意欲を燃やす。

合弁会社の設立後、田邊はパートナー企業と密に連携して顧客開拓に奔走した。努力は実り、約1年後には日系企業初となる鉄道コンテナ輸送の自社運行を実現。列車が動き出す様子を目にした際は「感動で思わず涙が出た」と田邊は当時を振り返る。
「企業としての強い武器が一つあれば、ビジネスは自然と広がっていくんです。“インドの鉄道輸送なら鴻池”という武器を見せると、輸送可能か不可能かは別にして、いろいろなお客様からまず当社に声がかかります。主担当として相当な苦労を経験しましたけど、私自身も新規事業に関する知見と、それを得るための努力の大切さをたっぷり学ぶことができました。今は日本からプロジェクト全体をサポートする側に回っていますけど、インドは8年間も過ごして大好きになったので、機会があるごとに現地に出向いてまだまだ活躍したいですね」
鉄道コンテナ輸送事業開始から約2年後、ついにインド最大の自動車メーカーからの受注も成し遂げた。
先々、この新規事業の幹を太くして枝葉を広げるのは、これから鴻池運輸にやってくる人材だ、と田邊は若い力にも期待を寄せる。広大なインドの物流の未来、そこへの鴻池運輸の多大な貢献を思い描くその目は輝きを放ち続けている。

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